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大阪高等裁判所 昭和63年(う)498号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人津村壽幸作成の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

論旨は要するに、原判決は、被告人が原判示の日時・場所においてAほか一名所有の記念硬貨等一〇二点を窃取したとの事実を認定判示しているところ、被告人は右日時ごろA方仏間において記念硬貨等数枚を手に持って眺めていたに過ぎず、、これを窃取しようとした事実は全くないのであるから、原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があり、破棄を免れない、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討するのに、司法警察員作成の実況見分調書を除く原審で取調べられた証拠、とくに、被告人の検察官及び司法警察員(三通)に対する各供述調書、証人B、C、D及びAの原審公判廷における各証言、A作成の被害届、同人作成の窃難被害確認書・還付請求、司法警察員作成の窃盗被害品の写真撮影報告書、被害金額の算定に関する司法警察員作成の報告書二通、押収にかかる本邦記念硬貨及び外国硬貨合計一〇〇枚(当庁昭和六三年押第一七七号の2ないし9)を総合すると、原判示の罪となるべき事実(ただし、時価相当額は正当でない。)は優に肯認でき、当審事実取調べの結果によっても、右認定判断を左右するに足りず、原判決に所論のような事実誤認の非違は存しない。以下、その理由を明らかにする。

一原審及び当審で取調べられた関係証拠に照らすと、次のような事実関係を認めることができる。

1  本件の被害者・Aは、わが国で発行された記念硬貨や外国旅行の際に入手した外国の硬貨等百数十枚を、同人方書斎の整理だんすの上に置いてある小物入れの引き出しに納めてこれを保管していた。

2  被告人は、右Aの甥に当たるものであるところ、昭和六二年一〇月一〇日午後二時三〇分ごろ同人方を訪ねた際、家人が不在であったので、塀を乗り越えて同人方邸内にはいり、仏間縁側のガラス戸を破って屋内に立ち入ったが、たまたまガラスの割れる音に気付き不審をいだいた隣人が一一〇番通報を行ったことから、当時E巡査運転のパトカーに乗って機動警らの勤務に携わっていたB巡査において、府警本部通信指令室よりの無線指令に基づき、A方に赴いた。

3  現場に到着したB巡査は、隣家の塀を足場にA邸の塀にのぼり、身をかがめて邸内の様子をうかがっていたところ、同人方仏間から中庭に出ようとしている被告人の姿を認めたので、職務質問を行うため、直ちに中庭に降りたうえ被告人のもとに近付き、庭先で「君はこの家の人か。」と質問したのに対し、被告人は「俺は親威の者や。」と答え、更に、被告人は右手にタオルで包んだ丸いソフトボール大の物を所持していたことから、「これは何か。」と問いただすと、被告人は「これは金や。」と答え、引きつづき「これは誰の物だ。」「これは俺の物や、お前らに見せる必要はない。」などのやり取りを経たのち、B巡査において右タオル包みの外から手を触れると硬貨のような感触を受けたので、その中身を見せるよう説得し披見した結果、被告人が手にしているタオル包みの中に多数の外国硬貨や記念硬貨があるのを現認した。

4  そこで、B巡査はその後の職務質問を前示E巡査に引き継ぐとともに、A方仏間等に上がりこみ屋内の状況を見回した結果、仏間とその奥の書斎にそれぞれ数枚の硬貨が落ちているのを発見したので、被告人の所持している硬貨類は盗品であるとの嫌疑をいだき、再び中庭に降りて被告人に対し職務質問を続行したところ、被告人が硬貨窃盗の事実を認めたため、窃盗の現行犯人として被告人を逮捕し(逮捕時間は同日の午後二時五〇分ごろであった。)、被告人の所持していた硬貨類を押収したうえ、前示パトカーに被告人を乗せて堺東警察署に引きかえし、同署刑事課の捜査官に被告人の身柄を引き渡した。

5  次いで、同署刑事課所属の司法警察員・C巡査部長が被告人に対し、その弁解を録取する手続をとったが、被告人は比較的素直に本件窃盗の事実を自供し、その後の捜査段階においても、被告人は一貫して本件窃盗の事実を自白している。

二所論は、① 被告人は本件の約一週間程前に、たまたま他の者から貰い受けたレジスター、食器洗い機等をA方屋敷内にほうり込んでいたが、本件当日これを取るために同人方へ出向いたところ、家人が不在であったので邸内に立ち入ったもので、何ら窃盗等の犯意を有していなかったこと、② 現に、被告人は邸内へ立ち入る際、近隣の住民に対し、大声で「私はここの親威の者で、預けた物を取りにきたが、留守なのでここを乗り越えて入りますよ。」など窃盗目的での侵入でないことを公言していること、③ そして被告人は前示レジスター等の預託物が見当たらなかったため、これを探すとともに、庭先からA方仏間の祭壇を認め宗教に対する好奇心に駆られ、同家の宗旨を確かめようと仏間に立ち入ったもので、窃盗目的で立ち入ったわけではないこと、④ 被告人は仏間で経本を探していた際、仏間内で偶然本件硬貨を発見したので、これを手に取って見ていたところ、「出てこい。」という警察官の怒鳴り声を聞き、思わずそのままの状態で出ていったものであること等諸般の事情に徴すると、被告人が硬貨窃取の犯意を有していたと認めるのは困難であるから、本件窃盗の公訴事実については、いまだ十分な立証が尽くされているとはいえない、と主張し、被告は原審及び当審の各公判廷において、おおむね所論に沿う弁解をしている。

そこで、所論に即して原判決の認定・判断の当否を考察してみるのに、原審における審理の経過に徴すると、検察官は、本件において被告が窃盗の犯意をいだくに至ったのは、A方邸内に立ち入った後であると主張していることが明らかであり、原判決も右検察官の主張に沿って認定判示しているものと解されるので、前示①②のような事情があったとしても、そのことから直ちに原判決の認定に疑いを差しはさむ余地があるとは考えられない。次に、、前示③④の所論にかんがみ、被告人がブロック片で仏間縁側のガラス戸を破って屋内に上がり込んでからの行動について証拠関係を検討すると、原判示の記念硬貨等がすべてA方書斎の整理ダンスの上に置いてある小物入れに納めて保管されていたことは、A及びDの原審公判廷における各証言に照らして動かしがたい事実と認められ、してみると、仏間内で経本を探していた際偶然本件硬貨等を発見し、これを手に取って見ていた際警察官の声を聞いたので出ていったもので、書斎には一切足を踏みいれていない旨の被告人の原審及び当審公判廷における各供述は、いずれも、前示の硬貨等の保管場所に関する客観的な事実と対比し、信用しがたいものというほかない。更に、本件犯行の直後にA方屋内に立ち入って被害状況を確認したB巡査の原審及び当審における各証言によれば、同人は書斎及び仏間に数枚の硬貨が落ちているのを現認したというのであるが、右B証言には特段不自然な点もうかがわれないので、これらの証拠関係を総合すると、被告人は書斎の小物入れから原判示の記念硬貨等を窃盗したのち屋外に出ようとする途中、書斎と仏間にその一部を落としたものと推認するのが相当である。ところで被告人は、捜査段階において、犯行前後の状況につき、大要、「(A方家屋の塀を乗り越えて庭にはいったが、前に預けたレジスター等が見当たらず、そのうち、数刻前に飲んだ酒の酔いがまわってくるとともに)当時所持金もなく金が欲しかったので、おじ(Aのこと)の家にはいりこんで金目の物を盗んでやろうという気になり、庭にあったブロックで庭に面した部屋のガラス戸に投げつけてガラスを割って部屋の中にはいり、はいった所の部屋か、その隣の部屋の整理だんすの上の小引き出しをあけて中にしまってあった外国のコインや記念硬貨などを盗み出し、タオルやハンケチに包みこんで、割ったガラス戸から屋外へ出たとき警察官がやってきて……現行犯逮捕された。」旨自供しているところ、右の自供内容は、本件で逮捕された当時の被告人の所持金が一〇〇円程度に過ぎなかったこと、被告人はかねがね祖母(Aの母親)の扶養問題等に関する被害者の態度に不満を抱くなど同人に対し悪感情をもつとともに、本件に先立つ一か月ほどの間に被害者のもとへ金の無心に赴き合計約二万余円を借り受けたまままの状態になっていたこと等の背景的事情や、前示硬貨の所在場所及びB巡査の証言する逮捕前後の見聞状況等とも矛盾なく整合しており、その信用性はきわめて高いものと認められる。被告人は、捜査官から、微罪だから一〇日もすれば帰してもらえるかのような示唆を受けたので、つじつまを合わせて虚偽の自白をしたかのごとく弁解しているが、この点に関する被告人の原審公判廷での供述内容をみると、何ら合理的な理由もないのに被告人独自の判断によって軽い処分で済ませてもらえると思い込んでいたとうかがわれるにとどまり、被告人の取調べを担当したC巡査部長の原審証言に徴しても、捜査官が軽微な処遇をほのめかして虚偽の自供を引き出そうとした証跡は見当たらず、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書の任意性・信用性を肯認した原判決の認定・判断に疑いを容れる余地は存しない。

三以上の検討によれば、被告人はA方邸内に立ち入った後、当時所持金に窮していたことから、金品の窃盗を思い立ち、同人方家屋内に上がり込み、書斎小物入れに保管されていた原判示記念硬貨等を窃取した事実を肯認することができ(ただし時価相当額は合計約五三八四円と認められる。)、原判決の認定は相当である。論旨は理由がない。

四なお、職権をもって調査するのに、原判決が本件罪となるべき事実を認定する証拠として司法警察員作成の実況見分調書を挙示していることは、原判決書の記載に徴し明らかであるが、右実況見分調書の証拠能力には以下に述べるような疑問があり、結論として、原審の当該訴訟手続は法令違反のそしりを免れない。

すなわち、右実況見分調書は大阪府堺東警察署所属の司法警察員巡査部長Cが昭和六二年一〇月一〇日(被告人の逮補当日)の午後三時三〇分ごろから午後四時三〇分ごろにかけて、被害者Dと被告人の両名を立ち会わせたうえ実施した実況見分の結果を記載したものとされているが、被告人及び証人Bの原審及び当審公判廷における各供述、D及びCの原審公判廷における各証言を総合すると、C巡査部長は同月一〇日被告人及びA方隣人を立ち会わせて第一回目の実況見分を、ついでその四、五日後にDを立ち会わせて第二回目の実況見分をそれぞれ実施し、その結果を一通の実況見分調書にまとめて記載したものであることが認められ、したがって、本件実況見分調書には、実況見分を実施した日時及び立会人の氏名の記載において真実に反するもののあることが明白であるばかりでなく、その被害者方現場の状況に関しても、いまだ現場保存のなされている第一回目の実況見分時の状況としながら、実際はその後現場が清掃・復旧等された第二回目の実況見分の際の状況や、後日被害状況を再現したにすぎない状態等が明確に区別されることなく混然記載ないし写真撮影されている有様であって(たとえば、同調書では、「侵入か所の仏間の床の間には祭壇が祭られ、畳の上には硝子の破片さらに木製サイドボードの棚及び抽き出しが開けられ、物色した痕跡が認められた」として実況見分調書別添写真5、6、7を参照とし、かつ、「この時立会人被害者Dは、この部屋も荒らされておりますが、何も盗まれておりませんと指示説明した」となっているが、このときDが立ち会って指示説明していないことは前示のとおりであるし、添付の写真5、6、7には硝子の破片らしきものの存在は全く認められないうえ、前示B証言によれば、この仏間に落ちていたはずの硬貨の存在の記載ないし写真の撮影もなく、また、D証言による同仏間祭壇白木の台の下に置かれていた鞄が引っ張り出され、ファスナーが開けられていた状況についての記載も全くなく、かえって同鞄は白木の台の下に納められている状況《記録五〇丁、前示写真5》となっているのである。また、被害現場である書斎の状況に関しても、立会人のDが、「この小物入れの抽き出しの中に入れていた硬貨が盗まれ無くなっている」旨指示説明したと記載され、写真撮影もなされているが、同女の証言では右の立会は第二回目のときで、しかも同女は本件硬貨の入っていた正確な保管場所を知らず、単にC巡査部長に言われてそのように指示する形をとったにすぎないものであるほか、書斎における同硬貨の散乱状況、とくにその状況写真は、第二回目の実況見分時に犯行直後の状態を適宜再現させて写真撮影を行ったもので、同調書記載のごとく犯行直後の状態をありのままに撮影したものではない疑いの濃いものである。)、到底実況見分の結果が正確に記載されているものとは認めがたい。そうすると、そのように数回に分けて実況見分が行われた場合に、必要に応じてその実況見分の結果を、各見分の経過及び結果等を正確に判別できる方法を用いて一通の実況見分調書にまとめて記載することが許されないものではないとはいえ、そのように重要な部分において現実に行われた実況見分の状況に合致しない虚偽の記載や、二回の実況見分の結果が判然と区別されず、ただ一回の実況見分の状況であるかのごとく混然一体として表示されている同実況見分調書にあっては、もとよりそれが刑訴法三二一条三項にいう真正に作成されたものというに由なく、これを証拠とすることはできないものというべきである。

してみると、同調書の採用・取調べに対し特段異議の申立てがなされていないことを考慮に容れても、これを証拠に採用し罪証に供した原審の訴訟手続には法令に違反した非違があるというのほかないが、本件においては前示のように右実況見分調書を除外してもその余の証拠によって原判示事実を認めることができるので、右の違法は結局判決に影響を及ぼさず、原判決破棄の理由とはならない。

五よって、刑訴法三九六条、一八一条一項但書を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石田登良夫 裁判官角谷三千夫 裁判官石井一正)

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